広島大学文学部紀要, Temas19-21広島大学文学部, 1961 |
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... 考えなくてはならず、そのことは言をかえせば少なくとも天平 11 年現在の出雲国においては世帯が生活の上に大きな意義をもっていた時代は去り、地縁的な村落共同体が成立していたと考えなくてはならないであろう。以上のように理解すると郷戸は編戸して ...
... 考えなくてはならず、そのことは言をかえせば少なくとも天平 11 年現在の出雲国においては世帯が生活の上に大きな意義をもっていた時代は去り、地縁的な村落共同体が成立していたと考えなくてはならないであろう。以上のように理解すると郷戸は編戸して ...
Página 108
... 考え、此等がその本質的要素であるとし、聖人の本来的な能力又は屬性的性格であると考えている。上文は特に周易繫辭上十章及び下五章と、その韓康伯注の「幾者去無入有、理而未形...... 」、及び中庸等の諸概念を併せ採って、聖人の本質としての誠(本體) ...
... 考え、此等がその本質的要素であるとし、聖人の本来的な能力又は屬性的性格であると考えている。上文は特に周易繫辭上十章及び下五章と、その韓康伯注の「幾者去無入有、理而未形...... 」、及び中庸等の諸概念を併せ採って、聖人の本質としての誠(本體) ...
Página 125
... 考え、明善を思誠の根據とし、又中庸の所謂明善を大學の致知誠身を誠意の事とする考え方等が窺える(語類巻五七、 7 、文集・卷四六、答胡伯卷五七、答包定之)。此の考えは、朱子の根本的なものであり、彼の認識論中に居敬と窮理との兩面が考えられ、居敬 ...
... 考え、明善を思誠の根據とし、又中庸の所謂明善を大學の致知誠身を誠意の事とする考え方等が窺える(語類巻五七、 7 、文集・卷四六、答胡伯卷五七、答包定之)。此の考えは、朱子の根本的なものであり、彼の認識論中に居敬と窮理との兩面が考えられ、居敬 ...